2017年07月

毎日暑い東海地方です。梅雨明けは何時に成るんでしょうね。
暑い中、7月4日に名古屋臨海鉄道に貨物列車を撮影に行って来ました。
沿線は夏草が伸びていて撮影が難しい所が多くありました。
今回は南港線の鉄橋で撮影して来ました。
ND602号機がTOYOTAのコンテナ列車を牽いて来ました。

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東港からはND601号機が石灰石の貨物列車を牽いて来ました。

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暑いのでドアは開いて居ました。

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新日鉄で石灰石を降ろしてからすぐに戻って来ます。
東港行きを天白川橋梁手前で撮影します。

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この場所の踏切はまだ鐘式の警報機を使用しています。

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今度は天白川橋梁の東港駅側に向かいYOYOTAのコンテナ列車を撮影します。
今度はND55210号機が牽いて来ました。

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撮影後は雲行きが怪しくなり雨が降って来ましたので帰る事にしました。
次回はもう少し涼しく成りましたら行こうと思っています。

撮影地は忘れましたけども何処かで倉吉行きの424レのC11-44+客車2両を撮影した様です。1両目の客車にはオハニが付いて居ました。


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上灘駅発車で鉄橋に向かう築堤でしょうか?良い煙を出しています。

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オハニの荷物室が良く見える写真です。

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撮影後は午後の撮影に上灘駅近くの鉄橋に向かいました。
鉄橋は竹田川橋梁と書いて有ります。川は天神川と書いて有りました。

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客425レです。鉄橋の中央はトラス橋で両サイドがガーター橋でした。

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客車2両で煙も無く鉄橋を渡って行きました。

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河原には数名の撮影者が居ました。

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この鉄橋は倉吉行きは逆光に成りました様で客426レは鉄橋の正面から撮影して居ました。

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逆光で見難い写真に成りました。

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撮影はこれで終わりです。撮影後は帰りはどの様に帰ったかは思い出せませんでした。
C11-41号機はその後昭和49年の年末に南九州の末吉駅で廃車になった車両を撮影して居ます。その時はデフに大きなつばめのマークが残って居ました。
前のC11の廃車がC11-41号機です。

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南九州の蒸気機関車も写真を探して紹介します。


米子機関区を撮影後は山陰本線に乗車して倉吉駅に向かいました。この頃はC11牽引の混合列車と客車列車が走って居ました。他にもDCの普通列車も合ったようです。
SLダイヤ情報には倉吉~関金間に朝と夜に混合列車が二往復・倉吉~西倉吉間に二往復の混合列車と客車列車・倉吉~打吹間に二往復の混合列車と客車列車が走って居ました。C11牽引の列車は六往復の列車でした。
倉吉駅にはC11-41号機が客車列車を牽引して停まって居ました。

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9:14発の客423レ西倉吉行きでした。昭和8年川崎重工製造のC11-41です。

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倉吉からは混合列車の様でした。信号機も腕木では有りませんでした。

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沿線は田畑の中を走って居たようです。


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打吹駅で下車した様です。駅構内は広くて貨車も多く有りました。

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打吹駅で貨物の入れ替えが有ったのか踏切まで行って出発を撮影して居ました。

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腕木信号も有り横を走って行きました。腕木信号のワイヤーが足元に有ります。

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撮影後はロケハンをしながらDCで移動した様です。



昭和49年1月1日の博多21:48発のさんべ3号に乗車して今宵の宿にしました。
終着の米子駅には7:05着でした。早朝から米子機関区に向かい撮影をした様です。
米子機関区は駅のホームからでも見えまして大きい機関区でした。

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1月2日はお正月でしたので貨物はウヤが多く蒸気機関車は扇車庫の中に多く有りました。DD51も有ります。

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D51-620号機です。冬場でしたので雪かきも付いて居ました。

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D51-620のナンバープレートです。昭和16年の日本車輌製です。

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C11-261号機です。この頃は倉吉線で列車を牽引して居ました。

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C11-261号機のナンバープレートです。こちらも昭和19年の日本車輌製です。


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外にはD51-524号機が有りました。

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D51-524のナンバープレートです。今では懐かしいタブレットキャッチャーが装備されて居ました。

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撮影後は倉吉線に向かいました。この頃はC11が客車と混合列車を牽いて走って居ました。


室木線のハチロク牽引の客車に乗車しに鹿児島本線の遠賀川に向かいました。
何時の列車に乗車したかは定かでは有りません。ダイヤ情報を見ると遠賀川発の客車は13:24発と17:40発が有りますので写真の明るさから見ると13:24発の客825レに乗車した様です。遠賀川の駅での撮影が1枚ですのですぐに乗り換えで乗車した様です。

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車内で撮影した写真は88622号機のナンバープレートが写って居ました。
室木行きは逆向きのハチロクが先頭で引いて居ました。

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終点の室木駅まで乗車しないで一つ手前の八尋駅で下車して乗車して来た88622を駅発車を撮影した様です。

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運転士がこちらを見ていました。

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他にも撮影者が居ました。今ではこんなに線路に近づいて居たら列車が止まりますよね。昔は良い時代でした。

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帰りは八尋駅から乗車です。駅ホームに列車が入線して来ました。

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帰りはハチロクの牽引の客車車内から機関車を撮影しました。


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撮影場所は記憶が有りません。室木線は始発駅と終点駅を入れても5駅でしたので約20分ぐらいの乗車でした。途中駅ではワムの貨車が有りましたので早朝と夜遅くは貨物列車も一往復して居ました。貨物を引いた機関車が室木駅から客車を引いて一番列車が出発した様です。

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室木線の最後の写真は広い構内と腕木信号が写って居ますので古月駅の様です。この頃は貨物扱いの駅で近くに清新産業鞍手工場の専用側線が数本有ったようです。


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九州での写真はこれで終わっていますので何処かに行ったのかな・・?
この日の宿は博多発米子行きの夜行急行さんべ3号に乗車してます。
今思えばなんで博多駅での各地に向かう夜行特急列車や急行列車の写真を撮影しなかったのかな・・?と思いますね。

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